京都大学 川上浩司 2015年2月12日
昨今、マイナンバーの医療情報への利活用についての慎重論や反対意見をよく見かけます。とくに、マイナンバーから生成した医療等IDを使用するならまだしも、さらに一歩進めてマイナンバー由来の見えない番号(カードキーのようなデバイス)の利用という方針は、医療内の行為をブラックボックスにおしこめようという意図が見え、また医療以外の健康データとの突合などを阻害する行為となり、まったく健康増進や未来の日本人への責任を果たしていないと思います。
そもそも、医療の中だけではなく、時間軸として医療の前の部分としては、母子保健法に基づいたいわゆる赤ちゃん手帳、学校保健安全法に基づいた学校健診情報、医療内ではレセプトデータやDPC、医薬品の調剤情報、医療ののちの介護入所時情報には要介護認定の調査票情報やその他入所時調査票という様々な健康データが存在しています。これらを総称して私はライフコースデータと呼んでいます。マイナンバーの利用制限は医療の連携や医療行為の中の可視化に特化した視野のなかではあり得る意見ですが、せっかく血税をつかった各種法制度によるデータの取得をこれまで数十年にわたり実施してきたことを考えると、医療の前後の健康系データとの突合をしなければ、学術、社会的意義は格段に乏しくなり、国民のための取組にはなりえません。
換言すれば、ライフコースデータとしての各種疫学研究は、医療の中のみならず、医療の前の出産、幼児‐青少年データと医療情報をつなぐことで個人の健康増進や予防に寄与する情報が得られ、一方で医療情報と介護入所時情報などをつなぐことで、医療全体の評価すなわち治療行為や薬剤の本当の意味(social capital)でのアウトカム評価ができます。これは医療の中の情報だけの研究ではなし得ません。
既存の法律に制度に基づいて実施されてきた健康、医療情報の蓄積は日本の強みであり、税金を使ってきた以上その利活用は真剣に考えるべきです。そこから得られる情報は、難病の解明、創薬シーズ探索、高齢社会に対応した介護などの産業的価値が高く、国策に資するものです。個人の健康にも国策にも資するというのに、その利活用を認めないというのは噴飯と言わざるをえません。
個人情報保護への懸念ですが、ご存じのように個人情報保護基本法の第16条の3項、第50条の3項によって、公衆衛生の向上のための疫学研究での利活用は認められています。さらに、今年から施行される文部科学省・厚生労働省からの合同通知の「人を対象とした医学系研究に関する倫理指針(統合指針)」 では、既存資料をもちいた侵襲、介入、生体試料利用のない研究に関しては、解析実施の公知と拒否権(オプトアウト)は義務付けられています。ですので、個人の権利云々という話は筋が通らず、また、この議論を通そうとする方は、個人特定性低減という考え方をご存じないのかと思います。
医師や薬剤師が専門家として患者のことを考えることは当然ですが、医学や健康の将来を真剣に考えないのはご本人の職信念にすぎず、プロフェッショナリズムの欠如であると思います。ぜひ医療関係者にもここのところを考えていただきたいと願っています。
ちなみに世界の状況ですが、2012年にNew England Journal of Medicineにて医学研究におけるITの利活用が論じられて以来、2014年に国際医薬経済・治療アウトカム学会(ISPOR)会長は医療データベースを用いた観察研究の重要性に言及し、米国内科学会誌(JAMA)においても臨床試験からデータベース研究の転換が示唆されています。
日本の医療は国民皆保険制度という素晴らしい制度によって実施されていますが、それのみならず、日本には母子保健法や学校保健安全法といった悉皆で健康診断を行う素晴らしい制度をもっています。ぜひ、これが世界でも顕著な強みであると認識して、各種データベースの突合と疫学の再興により新たな健康への道を切り拓いていくべきと考えています。