京都大学 川上浩司 2010年4月16日
昨今、医薬品の安全性への懸念や対策、また基礎医学研究の応用による社会への成果還元という二つの観点から、医薬品審査のあり方が議論となっている。医薬品の安全性の確保は、一市民として当然求めてやまないものであるが、同時に科学技術の社会への受容と言う観点からは、臨床試験の制度そのものの改革が必要となっているのである。
20世紀末になると、分子生物学の進歩により、遺伝子組み換え、培養技術を駆使した遺伝子や人工タンパクの産生が可能となった。また、ヒューマンゲノムプロジェクトの終了によって、人の臓器や体内の調節に関連した遺伝子が明らかになった。そこで、疾患に対応した遺伝子検索が可能となり、特定の遺伝子やタンパクを標的とした医薬品、すなわち分子標的医薬や抗体医薬(新世代の生物製剤)といった新世代の医薬品が創出されるようになった。その一方で、1990年代末から、新規有効成分が臨床試験を経て承認される確率は1万分の1ぐらいまで下がっているといわれる。1980年代半ばにはアメリカでフェーズ1に入ったもののうちフェーズ3を終了して承認申請に入るものは20-30%であったが、現在は年間1000本FDAに申請される臨床試験のなかで、フェーズ3を終了する画期的な新規有効成分は一ケタである。このように、医薬品開発のチャンスは非常に低くなっているのである。
バイオテクノロジー技術の進歩や、また医療機器の高度化などがもたらした多様性に対応するために、多様な評価系の確立が必要となったということでもあり、いわゆるレギュラトリーサイエンスの充実が世界中の医療用品開発者、規制当局のキーワードとなってきたのである。レギュラトリーサイエンスの充実は開発レベル、審査レベルでのキーワードであるが、その上位概念として、イノベーションの萌芽をそだて維持していくため、すなわち科学技術政策や産業政策の観点も盛り込んだ医薬品行政、とくに臨床試験の制度、規制からみた開発支援のあり方の理想像とはどのようなものであろうか。
現在の日本の薬事法は、医薬品等を繰り返して製造し、国内において販売・流通させるという製造販売業を規制している。それゆえ、規制の対象は大学等研究機関ではなく、営利企業(製薬企業)となっている。薬事法の規定内で、国(厚生労働大臣)からの承認を受けることを目的とした臨床試験は、「治験」とよばれており、承認後は薬価収載されて国内の医療機関での当該医薬品の使用が可能となる。この場合、治験としての臨床試験の実施、および治験終了後には独立行政法人 医薬品医療機器総合機構(以下、PMDA)での審査を経ることになっている。数年前の薬事法改正で、企業のみならず大学病院等の医療機関が医師主導治験としてPMDAに届出と審査を求めることもできるようになった。
しかしながら、未承認の新規有効成分であっても、薬事法外の医療行為として大学等が狭義(開発型)の「臨床研究」として実施する場合には、遺伝子・細胞治療品目以外は行政への届出や審査は受けない。「臨床研究」として、治験ではなく開発を行った場合のゴールは、先進医療のように特定療養費制度のもとで当該医療施設だけで国からの医療費が受けられるというものになる。この「臨床研究」を実施するためには、臨床研究の倫理指針を遵守する必要はあるが、実施要件にGood Clinical Practice(GCP)は課せられていないために、実施ハードルは低い。そのかわり、得られた臨床データは、科学的品質が担保されているとはみなされず、日本あるいは諸外国の行政当局における医薬品としての承認審査に使用することはできない。
治験と(未承認薬を用いた)「臨床研究」というダブルトラックの存在は、研究機関における混乱、また、近年の臨床研究倫理指針の改正によって改善されたものの、被験者保護の観点、臨床試験の国内統一データベースの不備といった問題を抱えている。しかし、最大の問題は、「臨床研究」として新規医薬候補品の臨床試験を実施しても、通常その臨床データは国内外の行政当局からはGCPに則る科学的データとはみなされず、以後開発の進行のためにはその後で治験を実施し直さなければならないということである。
さて、医薬品産業の特徴とは、強力な物質特許があれば市場を形成することができるということである。極言すれば特許1対市場1対応型産業であり、特許出願してから25年という期間の間に少しでも早く臨床試験を実施し、承認取得をしないと市場において臨床試験等でかかった開発投資費用を回収することができない。特許が切れるとジェネリック医薬品が市場に参入し、当該医薬品の売り上げが2-3割となってしまう。しかしながら、「臨床研究」としての開発をスタートしてしまうと、「臨床研究」として良好なデータを取得することが出来たとしても、治験として臨床試験を行う場合と比較して、治験への乗り換えなどの必要により臨床試験のスタートから終了までに時間がかかり、特許の取得から実用化後の商業年数が必然的に減少してしまう。「臨床研究」を実施していると、特許年数が減少してしまうために、大学などの研究機関で研究された素晴らしい成果の応用化を、「臨床研究」ののちに製薬企業が開発を継承するインセンティブも失われてしまうのである。
さて、米国においてはどのような制度設計をしているのであろうか。米国では、連邦政府食品医薬品庁(Food and Drug Administration; FDA)が医薬品行政の拠りどころとする医薬品・バイオテクノロジー医薬品におけるInvestigational New Drug (IND)制度、医療機器におけるInvestigational Device Exemptions (IDE)制度においては、未承認薬および生物製剤を用いた臨床試験を行う際には、その申請元(スポンサー)が大学、研究機関、バイオベンチャー、製薬企業といった形態にかかわらず、FDAに全例申請をし、科学的審査と臨床試験開始の認可を受ける必要がある。つまり、日本のように製造販売業の規制によって薬事法を形成しているのではなく、国民の健康の保護を第一の目標としているFood, Drug, and Cosmetic (FD&C) actおよびPublic Health Service (PHS) actを根拠法とするFDAは、臨床試験の開始が許可されてフェーズ1、2、3と進行し、最終的に承認申請が行われる段階にいたるまで、FDA(行政)側はスポンサー側に対して行政側の科学者として積極的にアドバイスを行い、営利企業のみならず大学等研究機関と二人三脚で医薬品開発を行っているという特徴があるといえよう。
特質すべきは、FDAが特別会計によって成立しているということである。1980年のバイドール法の成立により、国税が投入されてNational Institutes of Health (NIH)から配分される研究費を用いた研究成果であっても、製薬企業などに研究成果、知的財産を移転して製薬企業がその後の開発を引き継いで結果として利潤を上げることが可能となった。そのために、大学等研究機関は、適切なコンセプト実証(proof of concept)のために、スピンオフしたベンチャー企業を設立し、製薬企業にライセンスアウトするためにデータ整備や初期の開発(臨床試験におけるフェーズ1、最初のフェーズ2試験など)を実施するようになった。その結果として、1980年代以降非常に多くのバイオ(創薬)ベンチャー企業が設立された。大学等研究機関やベンチャー企業からの臨床試験の申請数も激増し、FDAは連邦政府からの連邦税配分のみでは審査官数や体制を維持し難くなったために、Prescription Drug User Fee act (PDUFA)法、Medical Device User Fee act (MDUDA)法を導入し、これらのいわゆるユーザーフィー法によって、受益者負担の原則で製薬企業は臨床試験の審査手数料を負担することになった。FDAの審査能力を維持するために必要な審査官の数から人件費を計算し、それを企業の審査手数料として設定することにしたのである。ただし、産業振興の観点から、中小企業(ベンチャー企業)からの申請手数料にはディスカウント料金を設定し、大学等研究機関からの申請手数料は無料とした。これによって、FDAは国民の健康を科学的審査によって保護するという大目標と、円滑な医薬産業振興のための制度設計を両立させることに成功したのである。すなわち、IND制度、IDE制度の本質とは、本邦のように治験と「臨床研究」の分け隔てなく規制当局(FDA)が一元的に審査をすることによって、大学であってもGCP下でおこなわれる臨床試験のデータが国内外規制当局における承認に使用可能となることとなり、また、大学等研究機関は、研究開発の早期からFDAからの薬事的支援を受けることができる、そのために必要不可欠な科学的データを無駄なく取得して製薬企業へと開発を引き継ぐことが出来ることにある。もちろん、大学等研究機関にとっても、製薬企業が当該医薬品を上市したのちにライセンス収入を受けることが出来るという大きなメリットがある。
上述のように、日本の臨床試験制度の抜本的な改革のためには、PMDAの組織改革や強化が最重要というわけではなく、米国FDAが運用しているIND、IDEという制度を日本の現状に即して運用できるようにすることにその本質がある。すなわち、大学等研究機関で活発に実施される「臨床研究」をGCPで実施することによって、またその支援を規制当局がおこなうことによって、シームレスにその成果をフェーズ2、フェーズ3といった企業主体の治験へと繋いで特許期間を無駄にすることなく少しでも早く医学研究の成果を社会還元、市場導入することが肝要である。現状の「臨床研究」をGCPで実施することにはアカデミアからの抵抗はもちろん予想される。しかしながら、臨床試験に使用される試験物の品質の担保にかかる米国FDAからのフェーズ1GMPガイドラインの運用などをみればわかるように、GCP等の運用を柔軟におこなうことによって、大学等研究機関における臨床試験のデータも承認申請に使用する根拠となるようにすればよいのである。
では、大学等研究機関における新たな枠組みでの臨床試験の審査をどこが担当するか。大学等でコンソーシアムを設置し、PMDAではない組織に審査を委ねるという考え方もある。しかし、それでは、治験を所管するPMDAの審査事例は蓄積しない。現時点では、PMDAは企業から提出される治験のみを中心に審査する。まだ萌芽的な研究シーズの段階で実施される臨床試験は、大学等の研究機関が公的研究費を獲得することにより「臨床研究」として実施されることが多いが、PMDAはこういった先端的な「臨床研究」の審査を行っていないため、開発の歴史や評価の過程を理解しにくく、審査事例が蓄積しづらい。そのために様々な新規のチャレンジの審査の経験を積むことができず、企業からの治験という開発段階となってから提出された申請をはじめて審査するために、その審査が遅れてしまうこともあるようである。当然のことながら、大学等研究機関への支援も限定的な経験に基づくものとなる。現状でのPMDAの人的リソースは米国FDAに比べて10分の1以下であり、日本版IND、IDE制度の導入に際しては、更なる人員強化と、大学や企業からの医師を含む有識者人材の受け入れは必須であり、さらに法的執行力の強化、すなわち独立行政法人ではなく政府省庁(内局)としての対応も必要であるかもしれない。
以上の観点をすべて盛り込んだうえで検討すべきは、
いずれにしろ、わが国におけるGCPを弾力的な運用とすることは、臨床試験の推進を阻害しないためにも必須である。
現時点では、狭義の「臨床研究」と治験の2つの臨床試験をめぐる行政対応と手続きは複雑であり、医学研究成果の社会受容としての臨床応用という共通課題を促進するためには、今後日本版IND、IDE制度の導入を主軸にすえた改革が必要と考える。発展を否めない科学技術研究の進歩を社会受容し、また日本の将来の産業政策として支援せねばならない(2009年8月24日号の国際医薬品情報 p7-を参照のこと)という二点を念頭に入れたうえで、早急に臨床試験の制度設計、導入を行うことを心より願う。